ああブログ

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YOSHII LOVINSON「TALI」

「TALI」は、THE YELLOW MONKEY解散後

YOSHII LOVINSON」などという名義で華麗に?ソロ活動を始めた

吉井和哉の1枚目のシングル。

「育子」とは誰か?なんて、正直どうでもいいことだと思っている。

 

この曲は、Jポップ、あるいは歌謡曲らしく、

最後の大サビに一番言いたいことを持ってくる、という作りになっている。

すなわち、

結婚しようよベイベー

 という叫びこそが、この曲のミソだ。

 

じゃあこの曲は結婚ソングなのかというと、

とてもそんな一筋縄で論じられる曲ではない。

大サビの直前、Cメロの歌詞を見てみると

あっちの人も失敗だ こっちの人も失敗だ

失敗運ぶバケツリレー

ねえ足りないものは何だろう? 足りないものは何だろう?

夢だけ有り余ってるよ

なんて歌っている。

とてもこれからプロポーズする男の脳内とは思えない。

この曲の1番2番からして、男と女が一緒にいることで

「泣き出したり、皿割ったり、出ていったり・・・」

そんな場面場面が言葉遊びに乗って、

マイナーコードの響きを基調として展開していく。

俺たちならうまくいくから、幸せになれるから、

だから結婚しよう…という論理展開ではないのだ。

歌のテンションもどこか切迫していて、ひりついていて、物悲しげだ。

 

というわけで、もう少し核心に迫るために

再度大サビの歌詞を長めに引用してみる。

 

結婚しようよベイベー

一寸先の闇で木っ端微塵になっても

怯えることなど何もない

 

何のために「結婚」するのか?

明日もし終わりがやってきてもいいように。

怯えることなく死ねるように。

「人間って空しいもん」だし、

恋人と一緒にいてもしんどい場面ばかり。

そもそも周りだって結婚して幸せになれている訳ではない。

あっちこっちで皆失敗している。

そういったもろもろを踏まえて、それでも「結婚しようよ」なのだ。

だからこそこの一節はズシンとくるものがある。

育子 BABY I LOVE

愛してるのは君だけだ

などと嘯きながら、その実、不安や虚無に押し潰されそうになりながら

必死に「君」との関係に救いを求める、

そんな構図の曲ではないかと解釈している。

 

 

THE YELLOW MONKEYを解散させ、

ソロとしてのキャリアを歩み始めた吉井和哉

その一歩目で、いきなり「孤独に死にたくない」などと

弱さをさらけ出すような曲をもってくるというのは、なかなかだ。

むしろソロで歌わなければ説得力が宿らない曲かもしれない。

2019年現在、イエモンは再結成を果たし

吉井和哉ソロは事実上終わってしまったのだが、

彼がソロで残した楽曲はどうにも人間くささを感じるものが多い。

それが妙に心地よくて、今はむしろイエモンより

ソロの方を好んで聴いていたりする。

 

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