ああブログ

考えたことを書き残す場所

クリスチャンとお酒

「宗教上の理由でお酒は飲めません」

 

この言葉の便利さは異常。それ以上誰も何も言ってこない。

でも実のところは・・・

 

クリスチャンはお酒を飲んではいけないのか?

飲むと地獄に落ちるのか?

 

答えはNOである。正直言って全然OK。

でも自分は飲まない。なぜ?そのあたりの考え方について。

 (※あくまで個人の見解であって

キリスト教や特定の宗派の公式見解ではありません)

 

お酒を飲むことが悪くない、という理由は単純明快。

2000年前を生きてキリスト教をひらいたイエスや、

エスの弟子たちは禁酒などしていなかったからだ。

むしろ聖書には、パンとぶどう酒をもってイエスと弟子一同が食事をとったという

「最後の晩餐」のエピソードを筆頭に、

旧約・新約のさまざまな場面でお酒が登場している。

旧約聖書の「十戒」や、様々な生活規定を記した「レビ記」なんかでも

お酒は禁止されてはいないし、

新約の時代(AD0~80年ぐらい?)においても、

結婚式などのハレの場から、

先述したように普段の食事にいたるまで

ぶどう酒は当然のように飲まれていたのだ。

 

 

ただそれとは裏腹に、自分はクリスチャンの両親や

日曜学校の教師からは一貫して

「お酒は飲むな」と言われ続けてきた。

その根拠は、というと聖書にはこんな言葉がある。

 

酒に酔ってはいけない。そこには放蕩があるからである。

(エペソ人への手紙 5章18節)

 

つまり、聖書はお酒を飲むこと自体は禁じていないながらも、

お酒による放蕩、要するにはめを外すことを禁じ、

身を慎む生き方を勧めているというわけだ。

なので、あらかじめそういったリスクを遠ざけるべく

「お酒は飲むな」というスタンスで一貫しているのは、

それはそれで1つの賢い生き方だと思っている。

 

ただ、実際問題として

生きていればお酒の場というのは無数にあるし、

飲めた方が良いのだろうな、と思う機会も少なくない。

別に聖書が禁じていない以上、どこかで解禁して

「ほどほどに飲む」という選択肢も常に目の前にあるのだ。

 

ただ、現時点ではお酒を飲むメリットをそれほど感じていない。

お酒を飲まない理由はつまるところその点に尽きるだろうか。

お酒を飲まなくてもお酒の場自体は嫌いではないし、

ただのジュースでも美味しいと感じることができる。(子供舌万歳)

お酒を入れないと眠れないということもないし、

ストレス解消法が他にないということもない。

お酒の力を借りなくとも、本音はボロボロこぼせてしまう性格でもあるし。

 

唯一、手に入らなくて、なおかつ欲しいと思うのは、

「相手に場を共有していると思われること」だろうか。

自分も相手も酔っているからこその空気感というかなんというか。

でも、今までお酒を口にしなかった人間が

ある時から普通にお酒を飲むようになって

「あいつは堕ちた」なんて思われるのも嫌なので(笑)

結局今の飲まないスタイルで生きていくのだろうなと思っている。

 

 

(1187文字)