フジファブリック「MUSIC」
「MUSIC」は、フジファブリックの5枚目のアルバム「MUSIC」収録の曲。
「MUSIC」というアルバムが、志村存命中のデモ音源をどうにかアルバムの形にまでもっていった結果生まれたのは恐らく間違いない。
だから仕方のないことだが、はっきり言って完成度は高くない。
フジファブリックのキャリアにおける存在感もそこまで強くない。
なんとなく志村時代は「クロニクル」まで、「STAR」以降が新フジファブリック、「MUSIC」は…どうにも中途半端なポジション。そんな印象。
それでも、「MUSIC」なんていう、言ってみれば大風呂敷をアルバムタイトルとしても採用したのは素晴らしい英断だったと思うし、
実際のところ「MUSIC」という曲の歌詞は志村の音楽の、あるいは志村の表現したいことの本質を端的に表現していると思うのだ。
志村の歌詞のテーマ。ざっくり言うと「君」と「四季」だと私は思っている。
「君」という特別な存在がいること。
もっと言えば、「君」とはついに結ばれなかったこと。
志村が山梨の自然の中で四季を感じながら生まれ育ったこと。
これらは「四季盤」はじめ多くのフジファブリックの曲の中で触れられているし、「君」との思い出にいたってはアルバム「クロニクル」のテーマでさえあるとも言える。
もっとも「君」というテーマは、「唇のソレ」や「マリアとアマゾネス」などでは主に志村の嗜好性癖と関連して語られるのだが(笑)
というわけで「MUSIC」の話に戻るのだが、この曲はまさに四季の情景と君との思い出以外の何物も歌っていない。
心機一転 何もかも春は転んで起き上がる
町に舞い散った花びら 踏みつぶして歩く
「踏みつぶして」なんて、ぎょっとするようなワードをさりげなく放り込むあたりが志村のらしいところ。
「桜の季節」も春のやるせない別れを歌った曲だし、志村の中で春という季節はそのあたりの思い出と切っても切り離せない季節なのだろうか?
このあたりは同じ山梨出身の藤巻亮太(レミオロメン)が春を「希望」や「成功」の象徴として描くのと非常に対称的だ。
枯葉が舞い散ってる秋は君が恋しくなる
記憶の中にいる君は いつだって笑顔だけ
前作「クロニクル」で「君」との過去や自分自身の内面ととことん向き合った志村は、
「MUSIC」では君への恋しさを忘れないながらも「記憶の中にいる君」を美しい思い出として受け入れている。
「君」も「四季」もひっくるめた自分の人生賛歌のような響きにも感じられるのだ。
「クロニクル」で歌詞的にも音楽的にも一旦歩みを止めた志村なりの、
決別と再出発のための曲だったのだろうか?
残念ながらおそらくこの曲は弾き語りのデモに肉付けをするという形で作られているので、
はっきり言って歌は下手である。アレンジも、悪いとは言わないがフジファブリックの力をもってすればいろんな可能性があったことだろう。
ところが、この下手な歌がかえって志村正彦という男の「らしさ」、不器用さと暖かさを引きだしているように感じられるのは不思議なところだ。
そう考えると、もったいないような、この形でよかったような。
自分の中では「四季盤」にも劣らない名曲だと思っているので、もっと聴かれてほしいなと思う次第である。
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