ああブログ

考えたことを書き残す場所

フェチズムを感じるスピッツの歌詞

独断と偏見に基づくチョイスでスピッツのアレな歌詞をいろいろ。

 

僕のペニスケースは人のとはちょっと違うけど

そんなことはもういいのさ

(「波乗り」)

 これは、はっきり言ってフェチズムは感じられない悪い例である。

「ペニスケース」という突拍子もない、

口にすることはおろか文字に起こすことも

匿名のブログでないと憚られるような単語が衝撃的だが

これは言うなればただの「下ネタ」であると私は考える。

たとえて言うなら、小学生がうんことかちんことか、

あるいは中学生がSMとか熟女とか言って喜んでいる類である。

いやべつに「波乗り」をけなしたいわけではないのだが、

この曲は「フェチズム」からは遠いところにあるという捉え方である。

枯れ果てたはずの涙も

タンクに溢れてるのさ

なんて歌詞も、おそらく男が溜まっては出すソレのことなのだろう。

基本的に初期のスピッツは「涙=精液」「ナイフ=男性器」で

ほぼ間違っていないと思われるところがある。

この曲もおそらく性的なあれこれが歌詞のテーマなのだろうが、

具体的にどういう内容なのかは極めて難解でよくわからない。

というわけで結論。

「波乗り」は草野マサムネの渾身の下ネタソング。

ただしフェチズムはそこまで感じない。

 

 

でっかいおしりが大好きだ

ゆっくり歩こうよ

(「あわ」)

こちらは逆に、100点満点である。

「フェチズムを感じるスピッツの歌詞」の模範解答と言っていい。

歌詞の表記からは省略されているが、この部分を正しく文字に起こすと

「ででででっかいおしりが大好きだ」である。

他の単語では絶対にいけない、なんとしても「でっかいおしり」と歌いたいという

強いこだわりが感じられそうな歌のつくりだ。

続く「ゆっくり歩こうよ」という部分も、

あまりにストレートな直前とは一転して何かと含みの多い表現である。

歩きながら揺れる君のおしりをゆっくりじっくり眺めていたい・・・

なんていう意図が隠されていても不思議ではあるまい。

ストレートなフェチズムの告白と、続く何気ないようでそうでもないワンフレーズ。

これが模範解答と思う理由がお分かりいただけるだろうか。

 

 

くびの匂い 明るい瞳

(「水色の街」)

これも、たったワンフレーズながら

そこはかとないフェチズムを感じさせてくれる部分である。

この「水色の街」という歌の歌詞は、

ストーリーとしては要するに君に会いに行くというだけのものなのだが

いちばん最初に「君」の情報として提示されるのが

「くびの匂い」なのである。

「明るい瞳」のような、顔や表情といった情報よりも先に

「くびの匂い」なのである。

マサムネ氏が目を閉じて「君」のことをイメージしたときに

真っ先に浮かんでしまったのが「くびの匂い」なのである。

これはもう、フェチズムとしか言いようがないだろう。

しかもなかなかマニアックなやつである。

ちなみに「くびの匂い」というフレーズには

もう一つ意味があると思っているのだが

それは近々「水色の街」の個別記事で書きたいと思っている。

 

 

サンダル履きの足指に見とれた

小さな花咲かせた

あれは恋だった

(「仲良し」)

さすがは草野マサムネ、目のつけどころがシャープである。

足指というのもマニアックさではなかなかのものだろう。

「小さな花咲かせた」というフレーズは、

もしかしたらネイルのことかもしれないし

それを見た自分自身の気持ちのことかもしれないので

解釈が難しいところである。

どちらかといえば私は後者かなと思う。

この場合は素足であってほしいとなんとなく思う。

足指というのは中国の纏足という例もあるように

意外と目にすることが少ないパーツである分、

変態度、もといフェチ的な得点も高めである。

普段見ることのできない部分にこそ、

思わず見とれてしまう。そういうものなのであろう。

 

 

うめぼし食べたい

うめぼし食べたい僕は

今すぐ君に会いたい

(「うめぼし」)

もしこの歌詞が意味するところが

文字通りの梅干しだったとしたら

途端に「はだしのゲン」の世界観になってしまうのだが

よもや草野マサムネに限ってそんなことはありえまい。

これは唇なのか、それともとても口にできないような部分のことなのか。

前者はわりと普通だし、後者だったとしてもそりゃ男は皆すべからく

「うめぼし」を欲していると思うので、変態的でこそあれ

フェチ的な得点は低めかもしれない。

 

 

しがみついてただけのあの日

おなかの産毛に口づけたのも

思い出してはここでひとり

「おなかの産毛に口づけた」、これまた

非常に秀逸なフレーズである。

注目すべきはこれが回想の中という点である。

おなかに口づけする時点でもはや二人はただならぬ関係であるし

それ以上の事に及んでいてもなんら不思議はないのだが

そこをあえて「おなかの産毛に口づけた」瞬間を回想しているのだ。

しかも「おなか」ではなく「おなかの産毛」である。

並々ならぬフェチズムを感じざるを得ない。

 

 

君のおっぱいは世界一

君のおっぱいは世界一

もうこれ以上の生きることの喜びなんかいらない

(「おっぱい」)

こういったテーマであれば

「おっぱい」を取り上げないわけにはいかないだろう。

ただしこのフレーズに関しては、そこまでフェチを感じるわけではない。

それは別に男が全員おっぱいが好きだから、

フェチとして普通だから、というわけではない。

むしろこのサビのフレーズからは全然違うことを感じてしまうのだ。

もう【C】これ以上の 【D】生きることの

【Em】喜び【D】なんかいら【C】ない

いきなりコードの話になってしまって恐縮だが、

【C】→【D】ときて【Em】に行くのが

ありふれた進行ながら急所のコードである。

メロディーの切迫感というか、

切実感のようなものが感じられないだろうか。

これによって

「もうこれ以上の生きることの喜びなんかいらない」という叫びが、

やたら真に迫った言葉として響いてくるのである。

これはもはやフェチという話の次元を超えてしまっているのだ。

「自分はなんのために生きているのか」という問いの答えが

「君のおっぱい」でもいい、そう何度も叫ぶほどに

「僕」は歓喜の瞬間のただ中にいるのである。

私はこの歌を聞くたびに、「嬉しすぎて泣き出す」という瞬間が

頭の中に浮かんでしまう。

「君のおっぱいは世界一」というのは、それほどの叫びなのである。

もっとも、このサビ以外の歌詞も

エロスとフェチズムにまみれているのだが

ちょっと紹介しきれないので引用はしないことにする。

 

すべてを紹介しようと思うときりがないので

これぐらいで終わりにする。

こうやって書き出してみるとやはり初期に開放的な表現が多く、

逆に最近の曲からはあまりこれといったものが思い浮かばなかった。

とはいえ開放的なだけがフェチズムではないので

奥ゆかしくも変態的な歌を今後の新曲に期待したいものである。

(2728文字)