ああブログ

考えたことを書き残す場所

オザケンとの出会い

小沢健二、通称オザケンに最近興味が出てきたという話。

でも気付いたらMY音楽史みたいなブログになっていた。

 

思えば、中学生の時に音楽にはまってからというものの、

自分の友人とは常に音楽の話をしてきた。

 

中学生のころは、自分の周りではバンプとラッドが最強だった。

レミオロメンが最強!と言い張る自分がいたり、

いやいや最強はアジカンだからとやはり言い張る友人Nもいたが

おおむねバンプとラッドは共通言語だった。

しかしアジカンの良さを力説して「崩壊アンプリファー」を

貸してくれた友人Nには感謝しかない。今でも聴く名盤。

 

高校生になってもバンプラッドは強かった。

中学時代だとクラスの1割がひっそりハマっていたこれらの音楽は

高校の時は多分クラスの3割~4割は好きな人がいる、

そんな存在に成長していたように思う。

相変わらずレミオロメンは悲しいほどに少数派だった。

少数派というか自分しかファンがいなかった。

高校の時にWさんにスピッツの「色々衣」を借りて

スピッツにのめり込んでいくことになるのだが

やはりWさんには感謝しかない。

LOVE PSYCHEDELICOの「The Greatest Hits」を

貸してくれたのも彼女だった。今思うとセンスが素晴らしい人だ。

 

大学では軽音部に入ったので、今までとは比べ物にならない人と

音楽の話をした。アーティストや曲の知識も一気に増えた。

ここに至っては「○○が流行っていた」という一言では語れないのだが

それでも、大学でもバンプとラッドは強かった。

 

そんな感じで生きてきたが、大学6年生(笑)になるまで

オザケンなんてのはほとんど聞かない単語だったし

好きだと主張する人にも出会わなかった。

オザケンを教えてくれたのは、当時バイトしていた

地元のうどん屋の店長。確か年は40中盤。

チャットモンチーの耳鳴りはヤバイ」という話で意気投合した我々は

勤務中に邦ロック畑を中心に色んな音楽の話をした。

「多分レミオロメン朝顔は一生聴くと思う」

そんな話をした私に対し、じゃあ自分が一生聴くアルバムはこれかな…と

貸してくれたのが小沢健二の「LIFE」だった。

 

早速聴いた。

正直、全然ぴんとこなかった(笑)

恋愛のハッピー感に脳みそやられてる歌。

そんな感じが第一印象だった。

あと1曲1曲が長いし。

 

なので、店長には

「ベースが気持ちよかったです」みたいな感想を伝えた。

自分はどれだけ各楽器が上手かろうと良いフレーズを弾いてようと

好きになるかどうかは結構歌が占める比重が大きいので

正直この時点では全然好きでもなかった。

1周しか聴かないのは良くないと思ったので5周ぐらいは聴いて、

そうこうしてるうちにうどん屋さんも辞めてしまって、

このままプレイリストの片隅で眠るかと思われたオザケン

 

しかし、YOUTUBEで「笑っていいとも」を見ていたある日、

小沢健二がゲストで出ている回を発見したので見てみた。

かなりオザケンに対する印象が変わった。

まず生歌が上手い。

「LIFE」の歌は正直結構ピッチが怪しいのだけれども

テレフォンショッキングに登場して、いつの間にか

ギターを渡されて弾き語りを始めてしまうオザケン

すごく上手くて、しかも説得力があった。

歌詞を大事にしていることも伝わってきた。

ミュージシャンに対して言う言葉ではないかもしれないが

ああこの人は、音楽に頭からつま先までどっぷり浸かっているんだな、

ということをものすごく感じた。

 

そんな目線で今一度「LIFE」を聴いてみると、

やはりというか聞こえ方もがらっと変わった。

アホみたいにハッピーを撒き散らす歌ばっかりだと思っていたのだが

よくよく聴いてみると全然そんなことはない。

優しい歌を歌っていると思っていたのに、スピッツの裏の顔に

気付いてしまった時の感覚にもどこか似ていて、

小沢健二はなかなかどうして一筋縄ではいかないことを歌っている。

まだそれをはっきり言語化するところまで聴き込めていないが

またおいおい「LIFE」の記事も書きたいなと思っているところ。

でもやっぱり、何度聞いても

今夜はブギー・バック」のボーカルは下手と言われても

やむを得ない気がする。

 

(1680文字)