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レミオロメン「雨上がり」

「雨上がり」は、レミオロメンのインディーズ1枚目のシングル。

1stアルバム「朝顔」、ほか「レミオベスト」収録。

 

初期のレミオロメンは、どうにも暗い曲ばかりだったのが

「雨上がりが完成したことで、ライブも盛りあがるようになった」

という旨のことをインタビューなどで読んだ記憶がある。

つまり当時の代表曲にして

飛躍への大きな一歩となった曲というわけだ。

曲調も、アップテンポで非常に勢いがある。

今後の自分たちの未来を「雨上がり」という言葉で

表現してみせた、上昇志向を思わせる曲だ。

 

ただ、そんな前向き一辺倒な曲と見せかけて

ひとつ興味深いポイントがこの曲の歌詞にはある。

それは、「僕」が雨上がりにどう気付いたかという点。

静かになった どうやら雨が止んだみたいだね

水かさの増した川の脇

細い路地で見つけたのは

水たまりに移る空の色

歩けばほら 道端の

苔に咲いた花さえ雨上がり

と、どれもこれも間接的な言及でしかない。

上手くたためない傘についた

水滴残して 雲が流れてく

という歌詞では、雲が流れて行く様子を

眺めていたという風にも解釈できるが、

いずれにせよはっきり青空を目の当たりにしたわけではなさそう。

 

いつか僕らは見えるかな

虹のかかる空を

この曲のミソとなるCメロ部分。

藤巻にとって、虹のかかる空はまだ未だ見ることのできない

ものであるし、雨上がりの青空にしても

水たまりに映ったものを見るという形でしか

見ることができていない。

このあたりに、単なる上昇志向だけではない

極めてシビアな藤巻の自己認識が現れているのではないかと

考えてしまうのだ。

 

 

3月9日の記事では、なんでもないような瞬間を切り取って

歌にしてしまうのが藤巻の真骨頂だと書いたのだが、

それを違う角度から言い換えるなら

「自分はこの目で見えるものしか知らないし、それしか歌えない」

という現実的で消去法的なアプローチだったのかもしれない。

山梨の自然の中で育ち、それらを歌いつつも

それでは満足できず、もっと広い場所に出て、

違う景色を見てみたいというそんな願いが1st「朝顔」からは感じられる。

朝顔」というアルバムは、全体を通して

理想や成功に対する渇望であったり、

反面、今の自分がどこにもいけない、何物でもない無力感であったり

そうしている間にも時間が進んでいくという無常であったり

そういったモチーフがよく現れている。

 

青空とそこにかかる虹という風景を熱望しつつも、

今自分の目の前にある水たまりや苔を通してでしか

雨上がりを描けない今の自分。

でもいつか、高みへとのぼってもっといい景色を見てみたい。

「雨上がり」は、そんな気概を感じさせてくれる曲だ。

後年、藤巻のその願いは成就しそれに伴って

歌詞の世界もどんどん変化していくのだが

そのあたりの話もおいおい記事にしていくつもり。

 

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