ああブログ

考えたことを書き残す場所

リスナーとしての顔(未完)

全然結論がまとまっていない話。

あと10月中の入稿、間に合わなかったってよ。

 

唐突に私が大好きな将棋の話を始める。

プロの将棋指し、プロ棋士について語られる際、よく用いられる考え方がある。

「勝負師」「研究者」「芸術家」という3つの面でいえば、

どの部分が強いか、というものである。

「勝負師」とは、とにかく勝ちにこだわる手を指すこと。

「研究者」とは、その将棋の最善、正解を追求すること。

「芸術家」とは、1局の将棋を1つの作品と捉え、将棋の美しさにこだわること。

大ざっぱに言ってこんな感じだ。

 

将棋ではあまり具体的に誰がどうこうという例を出しても

置いてけぼりにも程があるかと思うので、

せめてプロ野球で例えてみるならば

「勝負師」は、とことん勝ちにこだわった落合監督

「研究者」は、打撃を極めんと戦い続けたイチロー

「芸術家」は、天性のスーパースター新庄だろうか。

自分の教養ではこれぐらいの例えが限界である。ご容赦願いたい。

 

このブログは基本的に音楽のことを扱うつもりなので

ここでようやく音楽の話に軌道修正するのだが

音楽を聴く際にも、同じようにリスナーとしての顔があるよなあ

ということを最近ぼーっと考えていた。

私はこのブログでも扱っている通りスピッツが大好きなのだが

自分がスピッツの歌詞に心酔した挙句

こんなブログまで始めてしまった一方で、

歌詞は全く気にしないながらもスピッツが好き、という知人もいる。

これは音楽を聴く際に何を重視しているか、

言い換えればどんなリスナーとしてそれを受け取っているかの違いだろう。

 

音楽は勝負事ではないので、前述したような3つの面は

そのまま当てはめることはできない。

確実に言えるのは、自分は歌詞を重視するタイプだということだ。

しかしその一方、そもそも歌として、音楽として気に入ることがなければ

歌詞の世界を深読みしようとも思わない。

「歌詞がいいアーティスト」みたいにググって出てきたアーティストを

とりあえず試した結果今の好みに落ち着いた、というような

経緯を辿ったわけではないのだ。

また、自分は技術の巧拙に関してはかなり大らかな方だとも思っている。

持っている音感の悪さにも助けられてか、

ボーカルが多少ピッチを外したりしても

そこで決定的な評価を下すわけではない。

レミオロメンフジファブリックくるりなどがいい例だろうか。

同じように楽器の技術に関しても、

超絶テクニックの類は全くと言っていいほど求めていない。

 

あと自分自身でおそらく特徴的なんじゃないかと思っているのは

「物語」を重視するという点だ。

この点に関して、ひとつフジファブリック

「茜色の夕日」という曲を例に挙げてみる。

おそらく歌詞的にも、音楽的にも非常に素晴らしい名曲…だとは思うのだが

はっきり言って私自身はそうは断言できない。

なぜなら、歌詞や音楽のほかに「物語」の要素が

私の中でこの曲と一体化していて、もはやこの曲を客観的に観ることが

不可能になっているからだ。

この曲と一体化してしまった「物語」とは、

志村が上京して初めて作った曲だということ、

故郷・富士五湖文化センターでのMCとその後の演奏、

志村死後の奥田民生のカバー、その他もろもろである。

こうした情報を知っていると、

この曲はもはや「名曲」以外の何物でもないのだが

その評価は、この曲を何の事前情報もなく聴いた人の評価と

一致するかというと、非常に怪しいところだろう。

 

逆に言えば、自分の中で「好き」と「本当に好き」の

ボーダーラインになっているのはおそらくこういう部分なのだろうとも思う。

物語、つまりそれを歌う人の人となりや、今までの歩みや

根本的価値観などを感じることができ、かつ

そこに共感して初めて、「好き」のランクが上がるというわけである。

自分は「本当に好き」のランクまで行ったアーティストに関しては

アルバム単位でひたすら繰り返し聴き込んでしまうのだが

ある意味それは、自分の中に

「架空の歌手像」を作り出す作業とも言える。

まあ会ったことも話したこともないので

当然その歌手像が実際の人物像と一致しているはずはないのだが。

しかし繰り返し曲を聴き、その人物像がより鮮明に、

より具体的になって、はじめて

このブログでしているように、逆にそれをアウトプットし

言語化ができるようになるというわけだ。

なのでこのブログも「曲に隠された本当の意味を解き明かす!」

なんていう風な大層で素晴らしいものではなく、

要するに私が描いたマサムネ像や吉井像を勝手に紹介してるだけである。

なんかうまいこと「このブログの意義」みたいな

ところに着地できたっぽいのでこの記事はここらで終了。

表題、リスナーとしての顔について

いくつに分けられて、それぞれはどんな部分か・・・という話が

できればよかったが、今のところ簡明な結論は全く出ていない。

いつかそれらしいものが構築できたら完結編を書く。おわり。

 

(1981文字)