ああブログ

考えたことを書き残す場所

旬も過ぎた頃にドラクエ映画雑感

はじめに断っておきますがけなす系の記事です。

原作厨はかくもめんどくさい。

あとネタバレもあります。

 

ドラクエ映画、公開されてまもなくネット上ではオチを中心に酷評の嵐だったので

ああ糞映画なのか・・・とは思いつつも

「見てもないのに批判するのはおかしい」と変に筋を通そうと思い立った結果、

時間とお金をドブに捨てる覚悟で見に行ってきた。

そして結果。確かに糞映画。

自信を持って人に勧めることができる。見に行かない方がいいと。

 

糞映画といっても、単純につまらないという類のものではなく

やはりオチを中心に「どうしてそんなことをした?」と

頭の中を「???」で満たしてくれる系の糞映画だった。

なので映画を見てからというものの、消化不良感が

ずっと心の中に溜まって収まりが悪い日々が続いた。

ツイッターなどで「ドラクエ映画」で検索して

この消化不良の正体を的確に言葉にしてくれている人がいないかと思ったのだが

そう簡単には見つからず、それどころかツイッターだと

この映画を絶賛している人が2割、普通に褒めてる人も2割といった具合で

むしろ消化不良に拍車がかかるありさまであった。

なので、これはもう自分で言葉にするしかないと思い立って

久々(3か月ぶり)のブログ更新となった次第である。

 

あとどうでもいい話だが、最近はgoogleで検索しても

しょうもないまとめサイトとかが上位を占めるばかりで、

こういうはてブのような「個人的な感想が書き殴られてる場」は

本当に見つけづらくなったと思う。

そういう検索ツールとしては今はツイッターの方がたぶん有用。

 

というわけでドラクエ映画の話に戻るのだが

この糞映画が糞映画たるゆえん、それは一も二もなくやはり

「これは全てゲームなんだけどマジになっちゃってどうすんの(要約)」

とラスボスが語ってくるという最終盤の展開にあるだろう。

それに対して主人公が

「たとえゲームでも俺にとってこの時間はかけがえのないものなんだ(要約)」

と反論し、なんやかんやでラスボスを倒してジエンド、という流れなのだが

おそらくこの部分をどう評価するかがそのまま

この映画の評価に直結していると言っても過言ではないだろう。

実際、ツイッターでこの映画を絶賛している意見は、ほぼ例外なく

このオチとセットで映画の出来をほめていたように思う。

(ちゃんと調べたわけではない。あしからず。)

 

言うまでもなく自分はこのシーンに感動できなかった側である。

ラスボスを倒した後に『この道わが旅』という

ドラクエⅡをクリアした後のエンディングBGMが流れるのだが、

特にそのシーンは残念でならなかった。

私にとってドラクエⅡは小学生の時に散々苦労してクリアした

非常に思い出深い作品であり、

この道わが旅』もその記憶と密接にリンクした曲なのだが

映像もストーリーも音楽も「ここが感動ポイントですよ」と

あまりにもはっきりと示しているのに、唯一自分の感情が追い付かず

非常に白けた気持ちでこの曲を聞かされるのは、

むしろ思い出に泥を塗られているかのようで辛かった。

 

ではなぜ自分はこのシーンに感動できなかったのか、という話になるが

それは2つ理由があると思う。

 

ひとつは、ストーリーの薄さ。

もちろん映画の宿命として、

時間の制約というものが避けられないのはよーく分かるのだが

それにしてもおそらく本来、少なく見積もっても10~20時間ほどをかけて

クリアするゲームを約2時間に詰め込んだだけあって、

ストーリー部分は非常に薄く、ほぼダイジェスト、

それも本当に不可欠な部分だけ拾っただけのダイジェストと言って

差し支えないレベルのものであった。

早い話が、いかに主人公がラスボスに対し

「たとえゲームでも俺にとってこの時間はかけがえのないものなんだ」

と力説しようが、それまでの冒険の艱難辛苦や喜怒哀楽が

あまりにも薄っぺらいため、この主人公の主張に対して

視聴する側のテンションが追い付かないのだ。

 

そしてもうひとつは、これもひとつめと似た部分なのだが

主人公の人間性がどうにも薄っぺらくて軽い。

「ドジでヘタれだけど最後はがんばるやつ」

などという、本当に一言二言で言い表せそうな個性しか持っていない

非常に無味乾燥な存在に私には感じられた。

「父親を殺された仇の組織で10年も奴隷をさせられたらどうなるだろう?」

「その10年間でヘンリーとの関係性はどう変わるだろう?」

「あんな別れ方をしたゲレゲレ(キラーパンサー)、息子、妻と

 再会したならどんなリアクションになるだろう?」

この映画は、そういった類の掘り下げを徹底的に放棄して

ただただ取って付けたようなリアクションと発言に終始しているように

私には感じられた。

むしろ、この映画のハイクオリティなCGにはとても及ばない

原作ゲームのドット絵と無味乾燥なテキストの方が、かえって

「想像の余地」を与えてくれるだけまだマシであった。

そういうわけで、ストーリーも人物描写も心理描写もペラッペラなのに

最後の最後だけ主人公に感情移入しろ、と言われてもそれは無理な話で、

結果あまりにも白けた気持ちで「感動的なセリフ」と

「感動的なBGM」を聞かされたとあれば、

この映画を糞映画だと評価するのもやむを得ないところではないだろうか。

 

断っておくが、一から十まで糞映画だったわけではない。

声優陣や映像の美麗さには十分見るべきものがあったと思う。

特に山田孝之の「ぬわーーっっ!!」はファンにとっては

白眉とも言っていいワンシーンだ。

だから、そういった部分を前面に出しつつ

無難にラスボスを倒して終わっておけば、

原作ファンにとっても

ドラクエ世界を最新技術と豪華キャストで体感させてくれた映画」として

一定の評価を下すことはできたのではないだろうか。

しかし現実は、そういった「無難な凡作」で終わることを

よしとしなかったのかどうなのかは知らないが

ストーリー面と人物描写の裏付けを構築することなく

主人公への感情移入を前提とした感動シーンを最後に持ってきた結果、

見事失敗して白々しい後味を残す映画となってしまった。

確かにあのオチは問題であったが、それに付け加えるなら

映画としてのつくりの歪さがこの映画の最大の問題点だったのではないかと思う。

ドラクエで例えるなら、防御力は低いが呪文には強いボスに

魔法使いを3人引き連れて挑んだようなものである。

結果全滅するというオチももちろんだが、

そもそもの戦略に問題があったというわけだ。

最後に、この映画を見て最も有意義だった点についてだが

それは今後、監督:山崎貴の映画を見て

時間とお金を無駄にした挙句不快感で心を満たす愚を

二度と犯すまいと心に決めた事である。

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